退官 御挨拶
基礎教育大講座
ドイツ語研究室
前教授 澤岡 藩
同窓生の皆様におかれましては、 益々ご健勝にてご活躍のこととお慶び申し上げます。
私は本年3月末日を持って岐阜薬科大学を定年退職いたしました。
1985年4月に本学にドイツ語研究室助教授として赴任以来29年間、 外国語、 基礎教育科目の一端を担ってまいりました。
振り返りますと私が本学に在職したこの期間は、 日本においてドイツ語が大学教育のなかでの必要性を徐々に失っていく過程であったともいえます。
かつて日本における教養という概念の形成に、 ドイツ語?文化が果たした役割は大きいものがありましたが、 知の枠組みが変化する過程で、 その地位低下が起こったことはある意味必然でした。
しかし本学では選択科目のドイツ語を毎年多数の学生が受講してくれたことは教師として幸せなことでしたし、 その間私にとってのドイツ語の意味が変わることもありませんでした。
またこの10年ほどは 「実用英語」 も担当し、 科学系英語の基礎を教えてきました。
教養科目としての 「文学」 も、 これこそ自分の専門なので楽しい時間でした。
赴任以来文系の専任教員が常に2~3名しかいないという状況は当初こそ相当な違和感がありましたが、 なにごとにも全学一体となって取り組むという本学の姿勢がその違和感を払拭してくれたようです。
昨年度は副学生部長として分校後の三田洞の管理運営に多少なりとも参画させていただいたこともありがたいことでした。
加えて学生たちとの部活動?人会を通じた交流も本学における生活の重要な側面として記憶にとどめずにはいられません。
私は同窓生ではありませんが、 本学を母校と呼んでもよいような気持ちを持って退職できたことを、 心より幸せに感じています。
それは何よりも岐阜薬科大学が醸成してきた伝統のおかげであり、 その特質を今後も維持していただきたいと願っています。
末筆となりましたが、 会員の皆様方のますますのご健康とご繁栄をお祈り申し上げます。
私は本年3月末日を持って岐阜薬科大学を定年退職いたしました。
1985年4月に本学にドイツ語研究室助教授として赴任以来29年間、 外国語、 基礎教育科目の一端を担ってまいりました。
振り返りますと私が本学に在職したこの期間は、 日本においてドイツ語が大学教育のなかでの必要性を徐々に失っていく過程であったともいえます。
かつて日本における教養という概念の形成に、 ドイツ語?文化が果たした役割は大きいものがありましたが、 知の枠組みが変化する過程で、 その地位低下が起こったことはある意味必然でした。
しかし本学では選択科目のドイツ語を毎年多数の学生が受講してくれたことは教師として幸せなことでしたし、 その間私にとってのドイツ語の意味が変わることもありませんでした。
またこの10年ほどは 「実用英語」 も担当し、 科学系英語の基礎を教えてきました。
教養科目としての 「文学」 も、 これこそ自分の専門なので楽しい時間でした。
赴任以来文系の専任教員が常に2~3名しかいないという状況は当初こそ相当な違和感がありましたが、 なにごとにも全学一体となって取り組むという本学の姿勢がその違和感を払拭してくれたようです。
昨年度は副学生部長として分校後の三田洞の管理運営に多少なりとも参画させていただいたこともありがたいことでした。
加えて学生たちとの部活動?人会を通じた交流も本学における生活の重要な側面として記憶にとどめずにはいられません。
私は同窓生ではありませんが、 本学を母校と呼んでもよいような気持ちを持って退職できたことを、 心より幸せに感じています。
それは何よりも岐阜薬科大学が醸成してきた伝統のおかげであり、 その特質を今後も維持していただきたいと願っています。
末筆となりましたが、 会員の皆様方のますますのご健康とご繁栄をお祈り申し上げます。